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伊地知重政 (伊地知重英の子) : ミニ英和和英辞書
伊地知重政 (伊地知重英の子)[こ, ね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ち]
  1. (n,n-suf) earth 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

伊地知重政 (伊地知重英の子) : ウィキペディア日本語版
伊地知重政 (伊地知重英の子)[こ, ね]

伊地知 重政(いぢち しげまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将薩摩国島津氏の家臣。
大隅国国人伊地知氏庶流。重政は5代当主・重豊の四男・重基の玄孫にあたる。
永禄9年(1566年)の三ツ山城攻めで軍功を為し、天正6年(1578年)の耳川の戦いでは、島津義弘の命により10月10日の夜半に酒瀬川武安富山備中守と共に300余の兵で伏兵し、敵勢を討ち取る功を上げた。後に日向国門川(現・宮崎県門川町)の地頭に任じられ、軍議に参加する人数54人のうち日向3城の一人に数えられる(日向の3城は吉利忠澄が地頭であるため、地頭職は忠澄に任じられたものとも)。天正9年(1581年)の肥後国水俣城攻めには、この門川衆を率いて出陣している。
天正14年(1586年)の丹生島城攻めの際は先登を果たす功を為したが、翌天正15年(1587年)に豊後国野津(現・大分県臼杵市野津町)の地にて討ち死にした。
==参考文献==

*『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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